1月6日
昭和24年(1949)の1月6日、新京成電鉄線の ―鎌ヶ谷大仏間3.1㎞の路線が完成し、新津田沼―鎌ヶ谷大仏間の営業運転が開始されました。現在、鎌ケ谷市民の足となっている新京成線は、第2次世界大戦前に陸軍鉄道第2連隊が敷設していた演習線がもとになっています。終戦後、旧演習線は民間へ払い下げられることとなり、京成電鉄が権利を獲得しました。京成電鉄は、この路線の建設と完成後の経営を担うため、新規に「新京成電鉄」を創立しました。そして、昭和22年2月22日に工事が起工され、同年12月21日には新津田沼―薬園台間が、翌23年8月26日には薬園台―滝不動間が開通していました。なお、この時点での最低運賃は、大人3円・小児2円でした。
この後、新京成線は24年10月7日には、鎌ヶ谷初富(後の初富)まで延伸され、最終的に、松戸までの全線が開通したのは30年4月21日のことでした。8年2か月の工事期間を要したことになります。鎌ケ谷市域を含む新京成線沿線は、高度経済成長時代に首都近郊のベッドタウンとして発展し、農村であった鎌ケ谷は屈指の人口増加がみられ、村から町、町から市へと発展していきました。