お知らせ 鎌ケ谷あれこれ

郷土資料館の 鎌ケ谷、今日は何の日②

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5月23日 初代村長の就任が公表される

明治22年(1889)の今日、長浜善作(ながはま ぜんさく)が初代鎌ケ谷村の村長に当選したことが、村内に広報されました。この年4月1日、明治政府が制定した「市制」「町村制」に基づき、江戸時代より継続していた町や村が合併され、より規模の大きい新しい市・町・村が誕生しました。いわゆる「明治の町村合併」です。現在の鎌ケ谷市の前身となる東葛飾郡(ひがしかつしかぐん)鎌ケ谷村は、粟野(あわの)・鎌ケ谷(旧)・佐津間(さつま)・中沢・初富(はつとみ)・道野辺(みちのべ)の6村と印旛郡根(いんばぐんね)村のうちの軽井沢新田(かるいざわしんでん)などが合併し、成立しました。

さて、新町村には、町村長や助役(じょやく)・収入役といった三役が置かれました。なお、三役は原則として無給でした。このため、名誉職(めいよしょく)とよばれていました。このうち、町村長と助役は、新町村の成立と同時に設置された町村会の議員による間接選挙によって選出されました。また、町村会議員の選出は、多額納税者の男子のみが選挙権を有する制限選挙が採用されていたため、三役にはいわゆる地方名望家(めいぼうか)とよばれていた有力者が就任することが普通でした。

長浜善作は、江戸時代に木下街道(きおろしかいどう)鎌ケ谷宿(しゅく)の旅籠(はたご)の1軒であった鹿島屋(かしまや)の当主で、明治時代に入ると、鎌ケ谷村(旧)の副戸長(ふくこちょう)や鎌ケ谷村・初富村連合の戸長を歴任していた人物です。なお、村長の任期は4年でしたが、この時期はそれを全うすることは少なく、小刻みに交代しています。長浜もわずか4か月後の同年9月に辞職し、中沢の名望家であった三橋三郎(みはし さぶろう)が第2代村長に就任しました。

図書館情報

鎌ケ谷が村となり、そして町になり市へとなっていく歴史については『鎌ケ谷市史 下巻』や『鎌ケ谷のあゆみ』で読むことができます。
また、平成22年度に郷土資料館で行われた企画展『自治体 鎌ケ谷の歴史』の図録では企画展で展示された展示物の写真も見ることができます。
3冊とも閲覧・貸出しできます。

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